樹木希林、別居43年でも離婚せずは宗教「希心会」の教えによるか?

昨年(2018年)9月に亡くなられた樹木希林さん。

旦那の内田裕也さんとは結婚して一年半ほどで別居。

以後43年にも及び

樹木さんが亡くなるまで別居生活を続けることになる。

43年にも及ぶ別居。

別れて他の誰かと「幸せ」に暮らしたい…

そう、考えたくなったとしても不思議でない。

内田裕也と言えば、

三回の逮捕、

夜中に樹木さんの自宅に押しかけてわめき散らす、

同居時代のDVなど多くの破天荒というか問題行動で知られている。

それでも樹木さんは

離婚という選択をしなかった。

最後の最後までしなかった。

いったいそこにはどのような

理由や背景があるのだろうか。

  *

樹木希林さんは

新興宗教「希心会」(きしんかい)の信者

であったことが知られている。

その「希心会」の存在が

辛いとき苦しいときを乗り越える

助けになっていたことでしょう。

「樹木林」の「希」は

心会」の「希」からとったのではないか

と噂されているほどです。

今回はそんな樹木希林さんが、

信仰した宗教である「希心会」と

離婚しなかったことの

関係について見てゆきたいと思います

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樹木希林と新興宗教「希心会」

樹木希林さんが、

新興宗教の「希心会」の信者であったことは有名です。

「希心会」とは、

いったいどのような宗教だったのでしょうか?

(希心会は)「法華経を基とする霊友会に信仰していた

飯島将吉が独立して、

1953年に創立した新興宗教です。

本部は神奈川県厚木市で、

会費は月50円(現在は一世帯につき月100円)だったはず。

お金がかからないことで有名な、

こぢんまりとした宗教です。

特に悪い噂は聞かないですね。

希林さんはこの希心会の古参信者です。

日蓮系ですから、

身延山に参詣したりする行事があるのですが、

希林さんも熱心に参加していたと聞きます。

それに出くわした人の話によると、

『この宗教はお金がかからないからいいのよ』

と言われたそうです。

彼女の隣には夫の内田さんもいて、一緒に登っていたとか……」

(出典:『デイリー新潮』

といったところのようです。

いかがわしい拝金主義的な

新興宗教ではなさそうですね。

引用の最後のところに書かれていますが

内田さんも一緒に登っていたとか、

樹木さんがガンだったけど「希心会」の教えにより、

病院の治療を拒んだとか、

そういったウワサはありますが、

調べても詳しい情報は出てきません。

ただ、

樹木さんはこの「希心会」の教えを

大切にされていたことは、

間違いないでしょう。

樹木さんのものの考え方やあり方に、

大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

しかしだからといって、

「希心会」という存在があったから、

離婚しなかったと考えることは情報量の少なさから、

無理があると思います。

こんな樹木希林の名言もある

樹木希林さんは、

多くの名言を残したことでも知られている。

昨年(2018年)末には

樹木さんの名言がまとめられた本が出版されたほどです。

離婚しなかったのは、

宗教なんかの影響ではなくて、

純粋に愛ではなかったのかと

言いたくなるほどの美しい言葉、

多くの名言を樹木希林は残している。

そんな樹木希林さんの名言を

離婚しなかったことも念頭に置きつつ見てゆきます。

あんまりがんばらないで、でもへこたれないで

今年(2018年)の7月に

ニューヨークで取材を受けた際に、

テレビ局から視聴者に向けてのメッセージを求められて、

樹木さんは次のようにコメント

(上のTwitterの文字起こしです)されています。

あのー、おこがましいんですけど、

ものごとにはやっぱり表と裏があって、

どんなに不幸なものに出会っても、

どこかに灯りが見えるものだというふうに思っている。

もちろん幸せがずっと続くものでもないから

何か行き詰ったときに行き詰った場所だけ見ないで

ちょっとこう、後ろ側から見てみるという

そのゆとりさえあれば

そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに

今頃になって思っていますので

どうぞ物事を面白く受けとって、愉快に生きて

お互いっていうとおこがましいけど

そんなふうに思っています。

あんまりがんばらないで、でもへこたれないで。

謙虚であたたかいメッセージ。

なんとやさしく人を励ます言葉でしょうか。

こんな言葉の中にも、

私は樹木さんによる内田裕也さんへの愛を感じられます。

ものごとにはやっぱり表と裏があって、

どんなに不幸なものに出会っても、

どこかに灯りが見えるものだというふうに思っている。

という部分は、

裕也さんとの同居時代にやりあったDVや、

裕也さんによる度重なる事件などのことを

思い出させます。

ただ人間は、

その不幸の渦中にあるときは、

なかなか「灯り」は見えないもの。

だからこそ、

樹木さんは続けて、

「何か行き詰ったときに

行き詰った場所だけ見ないで

ちょっとこう、後ろ側から見てみる

といったふうにアドバイスされてます。

辛い中でも、

ちょっと引いた視点で自分を客観的に見つめてみる。

そのゆとりさえあれば

そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに

今頃になって思っていますので

樹木さんの壮絶な日々があったからこそ

生まれてくる本当に素晴らしい言葉ですね。

このメッセージひとつだけでも、

樹木希林さんが、

43年にも及んだ

別居婚という結婚生活を、

後悔もしてなければ、

不幸にも思っていないように感じられないでしょうか。

樹木さんは終始一貫して離婚なんてことを

望んでいなかったように思えます。

複雑でわかりにくく思えますが、

愛と表現するほかないものが感じられます。

宗教「希心会」がどうのこうのではなく、

樹木さんは純粋に内田裕也さんのことが好きで、

離婚せずにともに歩んでいくためには

別居というやや距離のある生き方が

お互いにとってちょうど良かったのかもしれません。

もちろん希林さんが

そういった価値観・人生観を持つことに

宗教「希心会」の影響がなかったとは言い切れませんが。

いろんな難を受けながら成熟してゆく

私は「なんで夫と別れないの」

とよく聞かれますが、

私にとってはありがたい存在です。

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、

難が有る、

と書きます。

人がなぜ生まれたかと言えば、

いろんな難を受けながら成熟していくため

なんじゃないでしょうか。

内田さんのことを「ありがたい」存在とする樹木さん。

単なる好き嫌いで夫婦関係を

投げ出すようなことはせず、

たとえ「難」があっても、

それを「成熟」のチャンスととらえて楽しむ。

離婚という現象が珍しくなくなった昨今、

シンプルだからこそ、

考えさせられる名言だと思う。

樹木さんが離婚という選択をしなかった背景には、

このような人生観があるわけですね。

でも、

なんでもかんでも「難」と捉えて受け入れるのは、

良くないかもしれません。

例えば、樹木さんも苦しんだDVを

「難」と捉えて我慢するのは危険でしょう。

樹木さんは、

DVから逃げて、

別居という選択をしたから良かったわけです。

ただし、離婚という選択はしなかった。

次にご紹介する名言が、

なぜ離婚という選択をしなかったかに対する、

樹木さんのストレートな回答となっていると思います。

夫1人だけ、奈落の底に突き落として…

本当の謝罪は本人から頭を下げてもらいたい。

籍を入れた責任上、

どうするかを考えながらいきたい。

夫1人だけ、奈落の底に落として、

自分だけ保身ということはしません

(出典:『日刊スポーツ』

これは、旦那の内田裕也が、

2011年に当時50歳の元交際相手の女性に復縁を迫り、

強要未遂及び住居侵入の容疑で逮捕された際の発言です。

その際、樹木希林さんは、

都内の自宅で報道陣に対応しました。

自分の旦那がストーカー容疑で逮捕されたら、

女優という自分の立場もあるわけですから、

自分の身を守るために

取りつくろうような発言のひとつでも

したくなるのではないでしょうか。

しかし希林さんは、

その真逆の発言をする。

この会見の際に報道陣から、

「あなた(樹木さん)こそ、

ロックンローラーだ!」

と言われたようです。

ほんと、その通りですね。

内田裕也という人間の

どうしようも無さを受け入れ、

「籍を入れた責任」を果たそうとする樹木さん。

離婚という選択肢は、

樹木さんの中では全く無かったのかもしれない。

生まれ変わることがあるなら、また巡り会うことがないように

(旦那の内田裕也について)

全部、好きです。

すべて何もかも好きです。

もし、

来世というものがあって、

生まれ変わることがあるのなら、

また巡り合うことがないように。

出会わないように、

気をつけたいわね。

もし次逢ったら、

また好きになってしまって

また大変な人生を送ってしまうから。

この感動的な名言は、

樹木さんが、裕也さんと離婚しなかった理由の

決定打というほかないです。

あんなメチャクチャな裕也さんの、

すべてなにもかもが好きなんですね。

ほんとうに樹木さんもロックンローラー。

離婚しなかったのは、

内田裕也が何かやらかした際に面倒をみるため

なんて語っている時もあった樹木さん。

ですが、

純粋に内田裕也のことを好きだから

離婚しなかったのかもしれない。

樹木希林が離婚しなかったのは宗教「希心会」の教えによるのか?

宗教的な信仰を持っていた樹木希林さん。

その信仰の力で

内田裕也のDVやぶっ飛んだ行動を、

受け入れてきたのではないか

という風に考えたくなるもの

うなづけなくもないです。

たしかに樹木さんの行動には、

宗教的な崇高(すうこう)さすら、

感じさせるくらいのものがあります。

このような言い方をするのは

適切ではない気もするのですが、

樹木さんの内田さんへの行為が

自己犠牲的にみえることも事実でしょう。

しかしだからといって、

それを信仰によるものだと

単純に決めつけることは、

私はどうかと思ってしまいます。

いま樹木希林さんのいくつかの名言で

確認してきましたように純粋な愛の力によるもの

ではないかとも思えるわけです。

宗教の教えか愛かなんて、

そこの見極めはもはやできないのではないか

という気もしますが…。

先ほど2011年に内田裕也が逮捕された際の名言、

「夫1人だけ、奈落の底に落として、

自分だけ保身ということはしません」

ということを書きました。

その事件後、

樹木さんは知人にこう話しているようです。

「希林さんは、ある意味宗教者になったんです。

もともと密教の研究をしていたそうです。

出家とかはしないようですが、

宗教者として生きていく”と話してくれたことがあります」

(出典:『NEWS ポストセブン』

宗教者として生きるとは、

相当な覚悟のある発言に思えますが、

樹木さんこう続けています。

「裕也さんは、希林さんにとって

墜ちた人

つまり、救わなければいけない存在なんです。

彼の人生を全うさせてあげたいと考えている。

だから、希林さんはどんなことがあっても、

裕也さんと離れることはない。

浮気されたら別れる人が多いけれど、

一緒に住まなくても浮気されても

夫婦なんだという考えなんでしょう」(出典:『NEWS ポストセブン』

うーん……、あえて意地悪く解釈しますよ。

樹木さんは「墜ちた人」たる内田裕也を

救済するという使命を得て、

それを糧(かて)に自分を高めようとしたともいえます。

もともと宗教的な憧れがあって

幸いなことに内田裕也という破天荒な存在を

パートナーにできた。

苦しければ苦しいほど、

辛ければ辛いほど、

樹木さん自身も成長し救われる(=幸せになれる)というカラクリです。

これはバイアスのかかった(偏った)見方であり、

樹木さんはもちろんそんな人ではなかったと思います。

ただ、これだけは間違いなく言えます。

樹木希林という存在の仕方が

極めて求道的(きゅうどうてき:宗教的悟りや真理の道を求めて修行すること)だったということです。

樹木希林は、

その発言(名言)などからしても

宗教に対して親和性が高い人だといえます。

樹木さんが、

もともと求道的な性格だったのか、

内田裕也さんとの出会いがそうさせたのかはわかりません。

またこうも言えます。

樹木さんが、

内田裕也の「人生を全うさせてあげたい」と思うに至ったのは、

宗教「希心会」が先か樹木希林の求道的な性格が先かはわかりません。

ですから宗教法人「希心会」の存在によって

樹木希林と内田裕也が離婚に至らなかった

とは安直に言えないことになります。

そういえば、樹木希林さんが卒業した高校の「千代田女学園」は

浄土真宗系の学校であり、仏教に基づいた道徳教育

(出典:『Wikipedia』

を行っています。

もしかしたら高校時代に

仏教や宗教に対する親和性が高められたのかもしれません。

さて、先の知人の発言を信じるならば、

内田裕也という「墜ちた」ロッケンローラーを救うために

離婚しなかったということになるわけですが、

いずれにせよ、

離婚しなかった理由が、樹木さんの宗教的・求道的な価値観に基づいていることは明白です。

ただ、見てきましたようにそのことが

宗教法人「希心会」ときれいに結びつくのかはわかりません。

結論

樹木希林が別居43年でも内田裕也と離婚しなかったのは

宗教「希心会」の教えによるものなのか?

ということでこれまで見てきました。

結論としては、

今まで見てきましたように、

樹木希林が内田裕也と離婚しなかったのは

新興宗教「希心会」の教えによるのかはわからない

ということになります。

ただ、

樹木希林が極めて求道的な人で、

旦那・内田裕也への愛のあり方が

自己犠牲的で宗教性を帯びていたことは確か。

そのようにでも考えなければ

つまり「希心会」という信仰を持ったり、

「内田裕也を救う」というくらいの

宗教的な情熱を持たないと

とても正気ではいられなかったということだったのかもしれない。

あるいは

本当に本当に

あまりにもあまりにも

純粋に内田裕也のことが好きで

何も見返りを望まぬ

樹木希林の深すぎる愛だったのかもしれない。

その愛はあまりにも深すぎて、

私のような凡人には理解できないだけなのかもしれない。

いやそもそも

理解しようとすること自体が

愚かなことなのかもしれない。

   *

最後に樹木希林さんのご冥福と、

内田裕也さんの健康と今後のご活躍を

お祈りいたします。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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