浅田美代子と樹木希林の関係とは?遺作映画「エリカ38」で母娘共演

今回は女優の浅田美代子さんについてです。

浅田美代子さんと言えば、

今年(2018年)九月に亡くなられた女優の樹木希林さんと、

プライベートでもとても仲が良かったと言われています。

お互いのことを、

「ばぁば」

「みよちゅわ~ん」

と呼びあったとか。

樹木希林さんが亡くなるまでの最後のひと月は、

ほぼ一緒にいたといわれています。

いったい浅田美代子さんと樹木希林さんは、

どのような関係だったのでしょうか?

浅田美代子と樹木希林の出会い、ドラマ『時間ですよ』

浅田美代子さんは、

自動車修理工場を経営するご両親のもと、

1956年2月15日お生まれになりました。

東京都港区麻布のご出身です。

いわゆるお嬢様育ちのようで、

厳しくしつけされていたそうです。

そんな浅田さんが、

街でスカウトされ芸能界入りすることになるのですから、

ご両親の反対は当然あったでしょう。

当初両親は芸能界入りに反対していたが、

芸映側が交渉の過程で

ドラマ『時間ですよ』の新人オーディションへの参加を提案、

それに応じたところ、

約25,000名の中から選ばれる。

これで芸能界入りを決め、学校を中退する。

浅田美代子さんと樹木希林さんの出会いは、

1973年に放送された、

当時の国民的なドラマ『時間ですよ』(TBS系)

の第3シリーズ。

『時間ですよ』に出演するということは、

反対するご両親を納得させるほどの力が、

あったようです。

それにしても25000人もオーディションに参加する人がいるなんて、

すさまじい人気ドラマだったんでしょうね。

その頂点に立った浅田美代子さんもすごいですね。

『時間ですよ』は、

銭湯を舞台にしたホームドラマ。

主演は森光子さん、

堺正章さんや悠木千帆(後の樹木希林)さんなどが出演され、

新人の天地真理さんや浅田美代子さんの出世作となりました。

浅田さんは、

『時間ですよ』(第3シリーズ)にお手伝いさん役として出演して、

大人気に。

自ら歌った、

『時間ですよ』の挿入歌の『赤い風船』は、

50万枚を超える大ヒットになった。

この『時間ですよ』の第3シリーズに現れた、

新人の浅田美代子さんを樹木希林さんが気に入ったようです。

その後、

樹木さんの生涯にわたって、

浅田さんに目をかけることとなります。

浅田美代子と樹木希林は親戚?

浅田美代子さんと樹木希林さんについて調べていると、

お二人のことを、

「親戚」という言葉と合わせて検索されているようです。

浅田さんと樹木さんが親戚関係ではないかと、

思われてのことかもしれませんが、

先ほどお二人の出会いを見ましたように、

親戚関係というわけではなさそうです。

では、

いったいどうしてこのようなウワサのようなものが、

でてきたのでしょうか?

今年(2018年)9月15日に、

樹木希林さんは亡くなられて、

その翌々日に東京都品川区の斎場で家族葬が営まれました。

ご家族のほかに親交のあった方約30名が参列されたようですが、

その中には親族と一緒に浅田美代子さんの姿もあったのです。

結果的に、

出会ってから約半世紀も親交が続いたお二人は、

公私にわたって身内のような関係を続けてきた。

と言われています。

そんな浅田さんが、

家族葬の際に報道陣からの取材に応じて、

こう言ったそうです。

「入院してからの1カ月間、

ほとんど毎日そばにいさせてもらいました。

病院から(14日に自宅に)戻ってきて、

ブドウを口に含んで“おいしいね”と言って

うれしそうな顔をしていて、

まさかその日の晩に亡くなってしまうとは…」

と目に涙。

「(若い頃は)金魚のふんみたいにくっついて…。

母であり、姉であり、親友でもありました

と言葉を絞り出した。

ちょっとわかりにくいかもしれないので補足します。

樹木さんは亡くなる約一ヶ月前の8月13日に、

ご友人のお宅の階段で転んで大腿骨(だいたいこつ)を骨折されてしまい、

亡くなる前日(9月14日)まで入院されていました。

「病院から(14日に自宅に)戻ってきて」

とあるのはそういった事情によります。

樹木さんは、

病院から退院して自宅に戻られた

その日の晩に亡くなられたのです。

その樹木さんが入院されていた間、

浅田さんは「ほとんど毎日」そばにいたというのですから、

どれほど親しく、

どれほどお互いが大切に思っていた存在かがうかがえます。

樹木さんの人生やあり方については、

よろしければこちらをお読みください↓

樹木希林と内田裕也の関係、別居43年でも離婚しなかった理由

さて、

家族葬にも親族と共に参列されたりするほどですので、

親戚と勘違いされる方がいてもおかしくないかもしれませんね。

それにご自身で、

樹木さんのことを

母であり、姉であり、親友でもありました

と言っていることからも

うかがえますように、

ご自身としても「親戚」のような感覚で

大切にお付き合いされていたということでしょう。

もちろん、

樹木さんにとっても浅田さんは

親戚」のような放っておけない存在だったように思われます。

そのようないきさつから、

浅田さんと樹木さんが親戚なのではないか?

と推測される方がいたのではないかと思います。

次に見る、

浅田さんの結婚にまつわる逸話も

樹木さんがまるで浅田さんのおばさんに感じるかのような

エピソードです。

浅田美代子と吉田拓郎と樹木希林と内田裕也

デビューしてわずか4年。

人気の浅田美代子さんは、

21歳の時に歌手の吉田拓郎(当時31歳)さんと結婚することになります。

1977年7月のことでした。

吉田拓郎のプロフィール

日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、

1970年代初頭、

いまだマイナーな存在であった

フォークとロックを日本の音楽シーンの

メインストリームに引き上げた人物である。

また、

大規模ワンマン野外コンサート、

ラジオの活性化、

CMソング、

コンサートツアー、

プロデューサー、

レコード会社設立などのパイオニアとして、

日本ポピュラーミュージック史における最重要人物の一人である。

といったように拓郎さんは、

偉大なミュージシャンであるのですが、

問題がないわけではありませんでした。

浅田さんと付き合い始めた当時、

拓郎さんには妻子があったからです。

こちらが、

吉田拓郎さんの一人目の妻の四角佳子(よすみけいこ)さん。

拓郎さんと同じくフォークソングの歌手である。

1975年12月、

拓郎さんは自身のラジオ番組「オールナイトニッポン」の中で、

四角さんとの離婚を発表。

当時、

拓郎さんと四角さんの間には、

一歳半になる一人娘もいた。

浅田美代子と吉田拓郎の熱愛発覚

拓郎さんは

浅田さんと付き合い始める前から、

ファンであったということです。

1974年には浅田さんへの楽曲提供などにより

仕事を共にするようになり、

翌年のドラマ「なつかしき海の歌」(TBS系)で共演した頃から

浅田さんとの熱愛が報じられるようなった。

離婚を宣言したのが、

1975年の12月ですから、

おそらく、

拓郎さんが浅田さんがつきあいはじめた当時は、

まだ籍が入っていたのではないかと思われます。

要するに不倫ということになりそうです。

樹木さんと仲良しの浅田さんですが、

拓郎さんと付き合ってることに関しては、

しばらくは言わないでいたようです。

のちにそのことがちょっとショックだったとも

樹木さんは言っていたそうです。

二人の熱愛が報じられるにつれ、

当然樹木さんも知ることになり、

すでに妻子ある男と浅田さんがつきあうことを

心配したことは言うまでもないでしょう。

大切な浅田さんの身を案じた樹木さんは、

旦那の内田裕也さんと共に思わぬ行動を取ります。

吉田拓郎に襲いかかる樹木希林と内田裕也

まだ拓郎さんが四角さんと離婚する前(1975年以前)、

つまり不倫中の出来事なのか、

それとも離婚後の浅田さんと結婚する1977年までの間の話なのか

わからないのですが、

こんなことがあったそうです。

かわいくて仕方がない浅田さんの身を案じた樹木さんは、

バリッバリのロッカーであられる旦那さまの内田裕也さんを連れて、

ある晩、

吉田拓郎さんがいきつけの飲み屋を襲撃したのです。

いい気分で酒を飲んでいた拓郎さんは、

二人の姿をびっくりします。

吉田さんは、

日本のフォークの世界を代表するような方です。

一方、

樹木さんの旦那の裕也さんと言ったら、

日本にロックという音楽を植え付けたような、

ロックの世界を代表する方です。

当時の日本には、

「ロック対フォーク」という図式があり、

ロックとフォークは仲が悪かったのです。

ふたりの姿を見たフォークシンガーの吉田拓郎さんは、

ロックな人々の奇襲と考えたのは無理のないことでしょう。

ところが

問われたのは、

浅田さんとの関係。

「どういうつもりなんだ、あんた!」

と樹木さんが、

どういった気持ちで浅田さんと

交際しているのかを問い詰める。

隣にはロッカーの夫、

内田裕也が「いつでも殴ってやらぁ」と

ニラミを利かせる。

そして、

拓郎さんは……

「ちゃんとした気持ちで結婚も考えています!」

と答えたという。

拓郎さん。

さぞ、

恐ろしかったことでしょう。

こうして拓郎さんと浅田さんは

めでたく結婚、

とはいかなかったようです。

浅田美代子の結婚に反対するご両親に樹木希林が衝撃の説得

離婚歴があり子供のいる吉田拓郎さんとの結婚を、

浅田美代子さんのご両親は反対。

今とは時代が違います。

気持ちはわからなくもないですよね。

そこで登場したのが、

やはり樹木希林さんです。

浅田さんは、

こう言っています。

「親を説得したのは希林さんで、

結婚は絶対反対でしたから…。

それにしてもひどい説得の仕方だった

と語り、

「まず母を説得した時に…

もうこの年だから言えるけど…」

『お母さんね、だって美代ちゃんはもう、

やられちゃったのよ!』

と希林さんは言ったそうです!

「親はショックじゃない、

泣いて『そうなんですか』って言って、

それで納得したもんね」

と泣く泣くの了承だった事を明かした。

これに樹木は「しょうがないもん」と一言つぶやいた。

なんてことでしょうか!

樹木さんの発言の破壊力たるや!

ご両親の前で、

「もうやられちゃったのよ」と言えちゃう勇気!

しかも「しょうがないもん」ですます!

いやぁ、

樹木さんはほんと大物ですね。

旦那さんの裕也さんよりロッケンローラーですね。

さて、

そのような樹木さんの努力(?)も実って、

浅田美代子さんと吉田拓郎さんは、

1977年7月無事に結婚。

なお拓郎からプロポーズを受けた

浅田美代子の返事は

……ハゲない?」だった

ようです。

さすが浅田美代子さん。

のちのち、

さんまさんとの出会いで爆発した

天然キャラのめばえを感じさせますね。

それはさておき、

浅田さんはそれを機に、

芸能界を引退され幸せに主婦業に専念することになる。

拓郎さんが、

急に20人ぐらいのお客さんを自宅に連れてきても、

手際よくもてなしたという話も残っていて、

浅田さんは、

とても手際が良くて器用な方のようです。

ところが…。

浅田美代子と吉田拓郎の離婚、樹木希林が感じた責任

結婚から約6年の1983年に、

浅田さんは離婚することとなる。

吉田さんの浮気が主な原因のようです。

浅田さんの時と同じく、

離婚から奇しくも2年後、

拓郎さんは女優の森下愛子さんと再々婚することになる。

なお、

浅田美代子さんと吉田拓郎さんとの間には、

子供はなかった。

不妊だとかいろいろ書かれていますが、

真相はよくわかりません。

単に子供が欲しくなかっただけかもしれませんし、

浮気性の拓郎さんの子供を産みたくなかったのかもしれません。

拓郎さんにきちんと結婚生活する気あるのか?

と問いただし、

浅田さんのご両親を衝撃の発言で説得した樹木さんは、

残念に思うと同時に、

責任を感じられたことでしょう。

「(10代の頃の浅田美代子と)ドラマで一緒になって、

娘のようにかわいいから、

世話をしたくなるっていうことですよね?」

と質問すると、

樹木は

「かわいいからって(いうよりも)、責任がある」

樹木さんは、

そう言っています。

樹木さんは浅田さんと出会ってから

変わることなくかわいがったという。

その背景には、

樹木の発言にもあるように、

浅田さんに対し、

「責任がある」

ということを痛く感じているのだろう。

もちろん、

吉田拓郎さんとの結婚にまつわることに関して。

離婚ということになって、

そのとき樹木さんが感じたであろう「責任」を、

生涯かけて果たそうと努めていたように思えます。

その後のふたりの関係をみていきましょう。

浅田美代子と樹木希林と不動産

芸能界の不動産王の異名をもつ樹木希林さん。

不動産収入はひと月数百万円を超えていたという。

樹木さんの不動産王ぶりはよろしければこちらを↓

芸能界の不動産王?樹木希林の自宅を設計した建築家は?間取りは?

当然、

娘のようにかわいがる浅田美代子さんに対して、

不動産のアドバイスをしないわけがない。

女優の浅田美代子さんは、

不動産を購入する場合は、

必ず、

樹木希林さんに相談して、

一緒に物件確認してから、

購入していると言っていました。

浅田さんは、

絶大なる信頼をしているわけですね。

浅田美代子自宅マンション購入秘話

希林さんは、

浅田さんの先々のことを考え、

「60になったら

誰も賃貸マンションなんて貸してくれないわよ!」

とアドバイスして、

お買い得の中古マンションを紹介して購入させています。

なんと、

樹木さんはこのマンション購入にあたって、

頭金を出したり、

ローンを組む際の連帯保証人にもなっていたといいます。

やはり、

樹木さんとしては

かわいい浅田さんの離婚に当たっての

「責任」を果たそうとしていたのかもしれませんね。

すでに返済は終わっているとのことですが、

連帯保証人になることなんて、

いくら友人でもなかなかできることではありませんよね。

浅田さんのマンションの詳細は、

東京都内ということ以外は明らかになっていませんが、

愛犬家で知られる浅田さんは、

4匹の犬と暮らされているようです。

浅田美代子は犬好きで動物愛護(保護活動)も

わんちゃん、

かわいいですね。

4匹もわんちゃんがいるんですから、

広いマンションに住んでいるんでしょうね。

浅田さんは、

単なる犬好きにとどまらず、

動物愛護(保護活動)の活動もされているそうです。

浅田さんは、

吉田拓郎さんとの離婚後は、

お母様と一緒にくらしていました。

その大切なお母様が急性リンパ性白血病で2001年に亡くなられたのです。

その悲しい出来事の際に、

飼っていた犬に

浅田さんは

癒やされ救われ支えられたといいます。

その経験から、

犬に何か恩返しがしたいと思ったらしく、

動物愛護の活動をされているようです。

浅田さんが飼われているわんちゃんは、

何らかの理由で見放されたり、

不幸な環境にあったわんちゃんを、

ひきとって飼っている、

いわゆる「保護犬」のようです。

すばらしい活動をされていますね。

犬たちも浅田さんの存在に感謝していることでしょう。

そんな犬好きな浅田さんには悩みが。

都内では道もせまくて、

4匹いっしょに散歩させることは、

誰かの迷惑になってしまうからできない。

そこで、

愛するわんちゃんたちを、

のびのびと自由に散歩させたいという思いから、

別荘の購入を考えます。

不動産。

当然、

樹木希林先生の登場です。

浅田美代子の千葉県富津市にある2億円の別荘

「3年ほど前、

浅田さんが千葉県の沿岸部に建つ別荘を

買ったそうです。

海沿いをワンちゃんたちと散歩できる、

素敵なビーチハウスだと聞いています」(浅田の知人)

2015年、

浅田美代子さんは、

わんちゃんたちとおもいっきり遊べる場所を手に入れます。

「土地・建物合わせて

2億円の物件を前の持ち主から

なんとキャッシュで購入したそうです」(前出・知人)

2億円をキャッシュとは!

さすが浅田美代子さんですね。

どんな感じの場所なのでしょうか?

房総の海を一望する高台に

浅田が購入したという白亜の豪邸があった。

1階は全面ガラス張りで、

目の前には太平洋が広がっている。

高台から太平洋を見渡す、

全面ガラス張りのオーシャンビューとは、

なんとも優雅で贅沢ですね。

わんちゃんたちも都内の狭さや人の多さから離れて、

さぞのびのびと楽しんでいることでしょうね。

「少しでもこの子(愛犬)たちのストレスを

解放させてあげられたらと、

それで決めたおうちなんですよ。

(ここなら)みんな一緒に仲良く海沿いをお散歩させてやれるでしょう」

どこまでもわんちゃんたちのことを思う浅田さん。

浅田さんがひきとったわんちゃんは、

前の飼い主や環境が良くなかったりして、

こころを病んでしまっているようなわんちゃんもいたようです。

浅田さんが愛情込めて飼うことによって、

心の傷を回復したわんちゃんもいるようですよ。

でも浅田さん、

この別荘購入にあたっては、

少し迷ったという。

「でも、最初はなかなか1人で決められなくて……。

それで、

私の“芸能界の母”ともいえる樹木希林さん

に相談したんです。

そしたらわざわざ千葉まで一緒に見に来てくれて、

希林さんのほうが

『ものすごくいいところじゃない』

って気に入っちゃったんですよ(笑)。

『悩む必要なんかないわよ!』

と言ってもらって、

購入を決めました」

「芸能界の母」の一言で、

迷いも吹きとんだとのこと。

樹木さんは、

芸能界の不動産王というだけあって、

不動産を見る目は確かなようで、

自分の目と足でしっかり現場を見て、

いいと思えば、

即決即断されていたそうです。

また樹木さんは、

返済も速かったようです。

浅田さんのマンションの購入の際に

樹木さんがお金を貸した際も、

浅田さんが映画などでまとまった収入があった際は……

「いくらもらったの?100万円返しなさい」

と無駄遣いさせずに厳しく取立て、

繰り上げ返済させて、

資産形成をさせ、

きちんと女優業をするように叱咤激励していました。

愛する「芸能界の娘」に、

不動産投資の鉄則と芸能界で生きるコツを教えていたんでしょうね。

樹木さんの厳しいながらも

あたたかな愛を感じられますね。

浅田美代子と樹木希林の最後の共演、映画「エリカ38」

『時間ですよ』の共演で出会った、

浅田美代子さんと樹木希林さん。

樹木さんの遺作となる映画『エリカ38』でも、

浅田さんは共演することとなった。

偶然とは思えませんね。

最後の作品で

樹木さんと浅田さんがご一緒できたのは、

神様からのプレゼントのようにも思えますね。

実はこの映画、

樹木さんが女優人生で初めて映画の企画を立てたもの。

樹木さんは、

企画をする立場として、

主演に浅田さんを指名したそうです。

樹木さんとしては、

女優浅田美代子の代表作といえば…

これだ!

というような代表作がないことを

気にされていたも言われています。

もしかしたら自ら企画する

この『エリカ38』を浅田さんの代表作にしたい

という強い思いがあったのかもしれません。

さて、

浅田さんは、

樹木さんのことを、

母であり、姉であり、親友でもありました

と言ったことは先ほど見ました。

「芸能界の母娘」ともいうべきお二人が、

『エリカ38』の中では、

樹木さんが母役、

浅田さんが娘役での共演となるようです。

「この映画は

樹木がアイデアを出したことから話が進み、

今年1月から4月に撮影されたそうです。

17年4月に出資法違反で国際手配後、

タイで逮捕された“つなぎ融資の女王”こと

山辺節子受刑者のことを覚えている人は

多いことでしょう。

逮捕当時62歳だったにもかかわらず

“38歳”と偽り、

聖子ちゃんカット風ヘアスタイルにカチューシャをし、

両肩が丸見えの白いブラウスに

ショーパンをはいた山辺受刑者に対し

『絶妙な詐称年齢と高い女子力』

に驚きの声が噴出したことは、

記憶に新しいかと思います。

その山辺受刑者をモデルに描かれた

『エリカ』を浅田が演じるというわけです」

(映画誌ライター)

映画公開は、

来年(2019年)の春あたりでは、

と言われている。

亡くなられた樹木さんに、

また新たな映画で出会えるのは

楽しみですね。

もちろん「母娘」の共演も。

まとめ

今回は、

「芸能界の母娘」とも言うべき関係の

浅田美代子さんと樹木希林さんの関係について見てきました。

まとめます。

出会いは『時間ですよ』で、

樹木さんが浅田さんに目をかける。

二人は親戚ではないが、

真の母娘のような関係を最後まで続けた。

樹木さんは浅田さんの結婚に当たり、

旦那の吉田拓郎さんに

「きちんと結婚生活を送る」という約束を

内田裕也さんとともに取った。

拓郎さんとの結婚に反対する浅田さんのご両親を、

「もうやられちゃったのよ」

という強烈な一言で説得成功。

樹木さんは、

浅田さんが自宅マンション購入の際に

資金を貸し、

連帯保証人にもなっている。

それくらい信頼し合う関係。

迷っていた別荘購入も

樹木さんの一言で購入。

最後の共演は、

来年公開予定の『エリカ38』。

実の母娘のように

公私をともにした、

浅田美代子さんと樹木希林さんでした。

今後の浅田美代子さんの活躍が楽しみですね。

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

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