樹木希林と内田裕也の関係、別居43年でも離婚しなかった理由

今回は今年(2018年)九月に亡くなられた

大女優の樹木希林さんについてまとめてゆきたいと思います。

樹木希林さんといえば、

みなさまそれぞれにいろいろな想いを持たれるのではないでしょうか。

私にとっても、

大きな存在で、

体調がすぐれないということは知ってはいましたが、

実際に亡くなられたと知ったときには、

普段あまり感じることがないような喪失感が心の中に生じました。

女優、

樹木希林。

独特で力強い存在感。

でも重苦しかったり、

嫌な感じがするわけではない。

むしろ、

さわやかな軽さすら感じることもある。

女優として、

絶対にほかの人間で代えがきくことはないであろう、

唯一無二のユニークな存在。

ロボットのように替えがきく、

あなたのかわりなんていくらでもいる、

といったような存在ではなくて、

あなたでなければダメなんだ

あなたの替わりはどこにもいないんだ、

と誰もに思わせるような存在。

私にとって樹木希林さんは、

そのような存在の代表格です。

本来人間は、

言うまでもなくひとりひとりが独特で特別な存在であるはずです。

しかし、

そのような唯一無二の存在にはなかなかなれず、

日常の中で思うように自分の存在を感じられないで

苦しい思いをされている方も多いのではないでしょうか。

さて、

樹木希林さんといえば、

旦那様の内田裕也さんとの独特な夫婦関係は有名ですよね。

その別居生活の長さはちょっと異様な気もします。

にもかかわらず、

なぜ離婚に至らなかったのか?

もし樹木さんと裕也さんとの夫婦関係に関して、

報じられていることが事実であるならば、

離婚に至るのが当然ではないか、

と考える人もいるのではないでしょうか。

とても耐えられるものではない、と。

いったい、

樹木希林さんと内田裕也さんは、

どのような関係だったのでしょうか?

そのあたりについても詳しく書いてゆきたいと思います。

いずれにせよ、

樹木さんと裕也さんは離婚しませんでした。

夫婦関係については、

外側から他人が眺めてもわからないことが多いに決まってますし、

愛のかたちは、

本当に様々だと思います。

そうです、

外部の人間がとやかく言うことではありません。

しかし、

樹木希林さんの生き様を思うたびに、

何か得るものがあるのではないかと思うのです。

もちろん私は当事者ではありませんし、

親戚でも業界の人間でもありません。

しかし、

何か少しでも、

お読みになるみなさまのお役に立てるような

まとめができればと思っております。

樹木希林のアウトライン

まずは、プロフィールからはじめてゆきます。

樹木希林プロフィール

芸名:樹木希林(キキキリン)

本名:内田啓子(ウチダケイコ)

別名義:悠木千帆(ユウキチホ)

職業:女優

生年月日:1943年1月15日

没年月日:2018年9月15日(享年75歳)

出生地:東京都千代田区(現在)

血液型:A型

文学座付属演劇研究所の第一期生。

TBS系ドラマ『時間ですよ』、

同局ドラマ『寺内貫太郎一家』や、

フジカラーのCMなどに出演し、

個性派女優として注目を集める。

映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』、

映画『わが母の記』の2作で

『日本アカデミー賞』最優秀主演女優賞、

映画『歩いても 歩いても』で

『第51回 ブルーリボン賞』助演女優賞など、

数多くの映画賞を受賞している。

夫はロック歌手の内田裕也

娘は女優の内田也哉子(ウチダヤヤコ)、

娘婿は俳優の本木雅弘(モトキマサヒロ)、

孫は女優の内田伽羅(ウチダキャラ)。

お孫さんですが、

内田伽羅(キャラ)さんに加えて、

1997年には長男の雅樂(ウタ)さんが、

2010年には次男の玄兎(ゲント)くんが、

生まれています。

お孫さんは三人ということですね。

長男の雅樂さんは、

モデル名「UTA」としてモデルデビューされています。

樹木希林が女優になったきっかけ

樹木さんが女優になったきっかけはなんでしょう?

プロフィールの中に、

「文学座付属演劇研究所の第一期生」

とあります。

まあ、

ようするに演劇学校に入ったということになるわけですけれども

これは実は、

樹木さんからすれば予定外のことであったようです。

というのも、

樹木さんは「千代田女学園」に在学中の際は、

薬剤師を目指し勉強されていたからです。

ところが、

大学受験の直前に、

気晴らしでスキーに行った際に、

樹木さんは足を怪我(骨折のようです)してしまうのです。

それにより、

樹木さんは試験を受けることができず、

大学進学を断念し、

文学座付属演劇研究所に入られたようです。

受験の直前にスベりにいくなんて豪快ですね。

ただ千代田女学園に通われていた際は、

演劇部に在籍していたようなので、

もともと女優の世界にはあこがれもあったのかもしれませんね。

それにしても、

もし樹木さんが受験前に怪我をされなかったら、

薬剤師としてお仕事されていた可能性が高いわけです。

こんなことを言うのは良くないことですが、

怪我をされたことによって、

女優、

樹木希林が生まれたわけで、

私たちにとっては幸運だった言って良いでしょう。

引き合いに出す対象としてはふさわしくありませんし、

一切悪意はありませんが、

あのアドルフ・ヒトラーは絵を描くのが好きであったらしく、

美術系の大学を受験したののですが、

不合格になってしまい、

結果としてあのようなことになってしまったのです。

本当に人生には不思議なめぐり合わせというか、

ターニングポイントとなるような出来事があります。

多くの場合はその出来事の意味を、

自分では気づけないでしょう。

例えば、私たちは、

事故にあったり、

人間関係がうまくいかなかったり、

落ち込んだり悲しんだりすることもあります。

ただただ不幸にひたってしまう、

そうせずにはいられないときもあるでしょう。

でも、

もっと大きな視野で、

人生におけるアクシデントを

楽しむぐらいの勇気を持てたら、

その後の人生は変わってくるかもしれません。

なんらかの不幸的な出来事を、

過去のある瞬間だけの「点」としてではなく、

なんらかの幸福へとつながる伏線のようなものとして

過去も未来も含めた「線」でとらえないと、

ヒトラーのように大変な事になるかもしれないですね。

話が脱線して、

失礼しました。

それにしても、

樹木さんが女優の道を歩んでくださったことは幸いです。

ご本人は、

70歳を過ぎたときに、

女優として生きていく決意がかたまったと

発言されています。

ずいぶん時間がかかっているように思えますが、

樹木さんが女優という世界にあることに、

女優として生きることに、

大きな使命感を感じて、

自らの存在意義を確かに感じながら、

生きていたことは間違いないのではないでしょうか。

樹木希林が芸名をオークションで売却?

名前についてもふれておきたいです。

もちろん樹木希林というのは芸名ですが、

その樹木希林の前に、

悠木千帆という芸名で活動されていました。

ところが、

この悠木千帆という芸名を売ってしまいます。

悠木千帆(前の名前)を売ることになった理由は、

1977年4月1日に、

悠木千帆としてオークション番組に出演したが、

売るものがなかったため芸名を競売をかけました。

とありますように、

自分の芸名を樹木希林さんは売ってしまったのです。

芸名は、

22000円で世田谷区の飲食店経営者(樹木希林の知人)が落札しました。

悠木千帆から樹木希林へ名前変更しました。

悠木千帆という名前ですが、

2004年に女優の山田和葉へ受け継がれ、

二代目悠木千帆は現在も芸能活動されています。

オークション番組に出たが売るものがなくて自分の芸名を売ってしまうとはなんとも大胆ですね。

実は悠木千帆という芸名、

樹木希林さんの「知人」が落札されたようです。

樹木の知人が40万円で落札した。

その後、

落札者のもとには「悠木千帆」の譲渡を迫る依頼が殺到したが、

頑として譲渡を拒み続けていた。

山田(二代目の悠木千帆のこと、本名及び旧芸名は山田和葉)は無償で芸名を譲り受けたとの事で、

「あなたなら、と思った。そのかわりしっかり頑張りなさい」

と励まされたという。

その後はドラマや舞台など、活躍の場が拡がっている。

他の人が受け継いで、

悠木千帆という芸名が、

芸能会の世界でちゃんと生きていることは、

興味深いですね。

女優として活躍する、

二代目の悠木千帆さんは、

2014年に一般男性とご結婚されて、

2016年4月には第一子である男の子をご出産されています。

今後の悠木千帆さんのご活躍を祈りましょう。

さて、

樹木希林さんは悠木千帆という芸名でしたが、

本名(戸籍名)は、

内田啓子で旧姓は中谷となります。

樹木希林さんは、

内田裕也さんと再婚する前は、

1964年に俳優の岸田森(キシダシン)と結婚していますが、

1968年に離婚されています。

そして1973年10月に

内田裕也さんと再婚することになります。

樹木希林と内田裕也の関係

では、

ここから樹木希林さんと内田裕也さんの関係について、

夫婦のあり方について、

書いていきたいと思います。

樹木希林と内田裕也の馴れ初め・出会い

樹木さんと裕也さんはどのように出会ったのでしょうか。

 樹木さんと内田さんが結婚したのは、

1973年のことである。

内田さんの友人だった故・かまやつひろしさんと、

樹木さんがドラマで共演したのが縁の始まりで、

初デートの翌日に内田さんがプロポーズしたという

超スピード婚だった。

間もなく別居するが、

2人は最後まで「夫婦」であり続けた。

なんとあのミュージシャンのムッシュかまやつさんが、

二人のキューピッド役の可能性があるようです。

ムッシュさんと樹木さんが共演したドラマは、

TBSテレビの銭湯を取り巻く人気ホームドラマ『時間ですよ』だそうです。

樹木さんは銭湯の従業員として出演。

『時間ですよ』は、

毎回女性の入浴シーンがあったことで人気があったようです。

ちなみにムッシュかまやつさんの

いとこの子供(ちょっとわかりにくい)が、

森山直太朗さんです。

それにしても裕也さん、

初デートの翌日にプロポーズするとは、

さすが「ロッケンローラー」ですね。

プロポーズは出会った翌日とのことでしたが、

実際に樹木さんと裕也さんが結婚したのは、

どうも出会ってから5ヶ月後のようです。

樹木希林と内田裕也の結婚式

樹木さんと裕也さんの結婚式は

どのようなものだったのでしょうか?

樹木希林さんと内田裕也さんは、

築地本願寺で結婚式を挙げました。

結婚時の服装はなんと、

お二人ともジーパン姿だったそうです

築地本願寺でジーパン!

「普通」はそれなりの正装をしますよね。

さすがロッケンローラーといったかんじですね。

それにしてもそれを受け入れる樹木希林さんも

負けず劣らずファンキーですね。

しかも婚姻届ですが、

内田裕也さんは一切何も書いておらず、

樹木さんが自分で全部書いて、

ハンコを押して提出されたようです。

ほんとファンキーなお二人です。

俺も彼女も普通の人とは結婚できない。

その2人が出会えたことを神様に感謝したい。

そのように内田さんは発言されたようです。

確かに、

といった感じですね。

樹木希林と内田裕也の別居

結婚式の話題に触れたばかりなのに、

もう別居の話をしなければなりません。

というのも、

結婚から一年半ぼどで、

内田さんは家を出てしまったからです。

それ以来、

43年にも及び、

樹木さんが亡くなるまで別居がつづくことになるのです。

別居が始まったのは、

長女の也哉子(ヤヤコ)さんが生まれる前です。

気になるそもそもの別居原因ですが、

どうも調べてもあまりはっきりしたことは、

わかりません。

しかし、

いわゆる内田さんによる樹木さんへのDVが

ひどかったようで、

それが別居の原因になったのではないかと思われます。

1973年の結婚当初から、

内田さんのDV行為は始まっていたようですが、

樹木さんもそれに屈することなく応戦していたといわれています。

なんと、

それが毎晩のことであったようです。

2011年5月に

裕也さんが住居侵入と強要未遂の容疑で逮捕後に

樹木さんが開いた会見でこのように発言されています。

「暴力が毎晩でしたからね。

(中略)

近所の金物屋に

包丁をどのくらい買いに行ったかわからない」

なんとも物騒な話ですが、

樹木さんと内田さんの同居時代は、

そのようなDVな日々であったようです。

「樹木さんはいきなり頬を平手打ちされることも

よくあったようです。

何がきっかけで内田さんが怒るのかわからないから、

常にケンカが絶えなかった。

ひどいときは、

樹木さんの肋骨にひびがはいって、

病院通いを余儀なくされたこともあったようです」

といった芸能関係者の発言も残っているくらいです。

本当に命を落とされるようなことがなかったのが幸いです。

樹木希林さんは渋谷警察署に相談し、

何かあったらすぐに来てもらえるように登録

されていたようです。

本当に大変な日々だったことがうかがえますね。

やりたい放題の内田に対して、

樹木も負けじとやり返す。

当時普通だった大きくて重たい黒電話の受話器で殴って、

内田と“流血戦”になったこともあった。

今の若い方はもうご存じではないと思いますが、

昔の電話はダイヤルを回してかける、

黒一色のいわゆる黒電話でした。

重さは約2㎏。

そんなものまで登場するほどの激しさだったとは。

本当かどうかわかりませんが、

あまりにも毎晩激しくやり合うので、

樹木さんたちの下の階に住んでいたマンションの住人が

引っ越しをしたなんていう話も残っています。

また、

2016年に黒柳徹子さんがMCをつとめた特番に、

内田さんと樹木さんがそろって出演というかなりレアなことが

あったようですが、

その際、樹木さんはこう言ったそうです。

「寝ているときは無防備だから刺せる。

とっくにどっちかが刺されていておかしくない」

信じられないような世界ですが、

内田夫妻にとっては、

それが日常だったようです。

樹木希林と内田裕也の子供

結婚して一年半ほどで別居したおふたりですが、

その別居を始めた際(1975年4月頃)には、

まだお子さんはいませんでした。

娘さんの也哉子(ヤヤコ)さんが生まれたのは、

1976年2月のことです。

別居後、

全く会わなかったわけではなく、

月に一回程度は会っていたようですが、

そんなさなかに生まれた也哉子さんであったため、

内田さんは、

「本当にオレの子か?」

と聞いたというひどい話も残っています。

内田也哉子さんは、

樹木希林さんと内田裕也さんとの間に生まれた一人娘です。

エッセイスト・女優・歌手として活動されています。

也哉子さんのお子さんは先ほど見ましたように、

旦那様である本木雅弘さんとの間に三人いらっしゃいます。

也哉子さんは、

都内のインターナショナルスクールに入学し、

9歳の時1年間ニューヨークへホームステイの後、

都立高校2年で再び、

スイス、ジュネーブのインターナショナルスクールへ留学。

といったプロフィールからもわかりますように、

海外生活も豊富で、

国際感覚の豊かな教育を受けていたようです。

留学中は、

アートを専攻し、写真やコラージュ制作などに熱中。

されていたようで、

学生時代は、

海外を転々とされていたようです。

この海外暮らしでつちかったであろう語学力が、

旦那様である本木雅弘さんとのなれそめにつながってゆきます。

本木雅弘さんが、

海外の映画賞を受賞する際に、

若干16歳の也哉子さんが通訳として同行することになったのです。

どうやらその際に、

本木雅弘さんがが也哉子さんことを気に入ってしまったようですね。

この出会いがきっかけで、

本木さんはまだ16歳の也哉子さんと

手紙をやりとりするなどひたむきにアプローチし、

也哉子さんが17歳の時にこのようにプロポーズをされたそうです。

「私には白髪のあなたが想像できるし、

そういうあなたが愛おしいと思える気がする。

今すぐじゃなくても、

いつか結婚という選択肢が現れたとき、

私もそこに入れてください」

ずーっと遠くの未来まで見すえた、

なんとも心あたたまる素敵な言葉ですね。

その後、

内田也哉子さんと本木雅弘さんは、

1995年に結婚されています。

プロポーズから一年と少しくらいでしょうか。

なお本木雅弘さんは、

樹木さんの内田家を残したいという思いを受け入れて、

婿養子に入られています。

ですので本名は、内田雅弘となります。

樹木希林と内田裕也の離婚裁判

さて、

別居をしたからといって、

樹木さんにとって、

また内田裕也さんにとっても、

平穏無事な日々が訪れたわけではなかったようです。

内田裕也さんは、

本当にエピソードに満ちあふれた方で、

ほんとうにいろいろな事件ともいうべきことを

引き起こしています。

実際に逮捕歴も一回どころではありません。

三回です!

内田裕也さんのエピソードなどの詳細は、

また別の機会にぜひまとめたいと思いますが、

樹木希林さんとの関係で、

触れないわけにいかないものがありますので、

それについて書いてゆきたいと思います。

離婚裁判です。

1981年3月12日、

樹木さん(当時38歳)は、

夫のマネジャーから驚愕の事実を告げられました。

夫の内田さん(当時41歳)が離婚届を出し、

ハワイに旅立ったというのです。

樹木さんにとっては寝耳に水…

サインをした覚えもありませんでした。

翌日、

朝9時の区役所開庁とともに確認すると、

確かに離婚届が提出されていたのです。

勝手に名前が書き込まれて三文判が押されていました。

婚姻届は、

裕也さんは一切何も書かず、

樹木さんが全部書いて出したことは先ほど書きましたが、

今回はその逆のことを

裕也さんがしたわけですが、

いやぁ、

なんといいますか、

常識では考えられないような行動ですね。

ほんとぶっ飛んでます。

樹木さんは急きょ記者会見を開きます。

かねて夫の浮気や暴力が報じられて2人は別居中…

それでも60人の報道陣の前で樹木さんは

「伏して、頭を下げて、大恥かいても、もう一度戻ってきて欲しい」

と愛情を込めて切々と訴えました。

壮絶な日々を送りながらも、

樹木さんは離婚を受け入れなかったわけです。

ところが。

ハワイに行っていた内田さんは23日に帰国…

「女として愛せないところがある。

不自然な生活にピリオドを打ちたかった」

と語り、

離婚届撤回の意思はないと断言したのです。

内田さんはこの時、

樹木さんが夫婦共通の友人である

テレビプロデューサーのスキャンダルを

公にしたことや、

無断で娘の写真を雑誌に公開したこと

などについて怒っていました。

対する裕也さんには、

樹木さんの切々たる想いは届かなかったようです。

そして、

この件は「離婚届の無効」を

樹木さん側が訴え訴訟にまで発展…

5月から調停手続きが始まり、

主張は平行線のままでしたが、

2回の調停を経て正式裁判になり、

翌年の東京地裁で離婚届無効の判決が出て

別居婚は継続されたのです。

結局裁判にまでなってしまいますが、

内田裕也さんによる離婚届の提出は無効となり、

別居婚を継続することになります。

このようなことがあっても、

離婚という選択をしない樹木さん。

相当な想いがなければできることではないでしょう。

その樹木さんの想いの詳細は、

のちほど詳しくみてゆきたいと思います。

そういえば、

裁判時の逸話になりますが、

その際の裁判官が樹木さんに向かって、

あんなに(裕也さんが)嫌がっているんだから別れてあげなさいよ

と言い放ったらしいです。

時代のなせる技だったのか、

裕也さんの拒絶が恐ろしかったのか、

たまたまその裁判官の人柄によるものだったのか、

背景はよくわかりませんが、

すごいこと言ってますね。

樹木希林と内田裕也の共演CM「ゼクシィ」

今まで見てきましたように、

一筋縄ではいかない夫婦ですので、

同じ芸能界にあっても、

共演するようなことはほとんどありませんでした。

しかし、

そんななかでもひときわ人々の心に残る共演がありました。

ご記憶の方もおおいであろう、

「ゼクシィ」の共演CMです。

結婚39年目だった2011年4月には

リクルートの結婚情報誌「ゼクシィ」のCMに

夫婦そろって出演。

ともに黒い和服姿の2人が少し離れて座り、

福山雅治(49)の歌うCMソング「家族になろうよ」

の優しいメロディにのせて樹木さんが

「結婚のいいところって何でしょうね」

と語りかける。

そして、

内田が

「ロッケンロール!」

と叫ぶ姿に

「こればっかり」と樹木さんが答えるシーンは

ユーモラスながら温かい雰囲気で

当時多くの反響を呼んだ。

ほんと不思議な温かさに包まれたCMでした。

樹木希林と内田裕也といえば?

と問われたならば、

私は破天荒というイメージと共に、

今も鮮やかにこのCMがよみがえってきます。

樹木さんの問いかけと、

内田さんの「ノーコメント!」

あるいは「ロッケンロール!」という受けこたえだけ

というシンプルなやりとりの中に、

なんとも言えない夫婦であることの喜びのようなものが、

感じられます。

見る人が行間を読むことで成立するようなCMでしたね。

福山雅治さんの歌もほんとによくマッチしていて

よかったですよね。

7年前のそのCMを覚えている人も多いようで、

ネット上には様々な声が。

「訃報を聞いて、このCMが頭に浮かんだ」

「ゼクシィのCM素敵だったなぁ」

「これ以上の夫婦はどこを探してもいない」

などと樹木さんの死を悼む声が相次いだ。

樹木さんが亡くなられた際、

ネット上にも多く、

このような意見が飛びかったようです。

樹木さんと裕也さん。

本当に不思議なお二人ですね。

でも、なんか素敵なお二人に思えてしまうんですよね。

樹木希林と内田裕也が離婚しなかったのはなぜか?

これまで見てきましたように、

常人には理解しがたいような関係の

樹木さんと内田さん。

なぜ、離婚に至らなかったのか、

そのあたりを探ってゆきます。

離婚しなかった理由と宗教「希心会」の関係は不明

樹木希林さんが、

新興宗教の「希心会」の信者であったことは有名です。

その信仰のおかげで、

内田裕也さんのDVやぶっ飛んだ行動も、

受け入れてきたのではないかという風に考えたくなるもの

わからなくもないですよね。

たしかに宗教的な崇高(すうこう)さすら、

感じさせるくらいのものがありますよね。

このような言い方をするのが適切ではない気もするのですが、

樹木さんの内田さんへの行為が自己犠牲的にみえることも、

事実でしょう。

しかし、

だからといって、

それを信仰によるものだと単純に決めつけることは、

私はどうかと思ってしまいます。

樹木さんの純粋な愛の力によるものではないかとも思えるわけです。

というのも、

この「希心会」と樹木さんの関係を調べても

特に情報は出てこないのと、

「希心会」そのものが、

調べる限りでは、

拝金的かつ排他的であるようなことはなく、

外部に害を与えるような新興宗教には、

思えないからです。

「希心会」そのものについての詳しい情報については、

書くのはやめますが、

簡潔なものを引用しておきますと、

(希心会は)「法華経を基とする霊友会に信仰していた

飯島将吉が独立して、

1953年に創立した新興宗教です。

本部は神奈川県厚木市で、

会費は月50円(現在は一世帯につき月100円)だったはず。

お金がかからないことで有名な、

こぢんまりとした宗教です。

特に悪い噂は聞かないですね。

希林さんはこの希心会の古参信者です。

日蓮系ですから、

身延山に参詣したりする行事があるのですが、

希林さんも熱心に参加していたと聞きます。

それに出くわした人の話によると、

『この宗教はお金がかからないからいいのよ』

と言われたそうです。

彼女の隣には夫の内田さんもいて、一緒に登っていたとか……」

といったところのようです。

内田さんといっしょに登られていたとかという話や、

樹木さんがガンだったけど「希心会」の教えにより、

病院の治療を拒んだとか、

そういったウワサはありますが、

本当のところはよくわかりません。

ただ、

樹木さんはこの「希心会」の教えを大切にされていたことは、

間違いないでしょうから、

樹木さんのものの考え方やあり方に、

大きな影響があったことは疑えないでしょう。

しかしだからといって、

「希心会」という存在があったから、

離婚しなかったと考えることは難しいと思います。

なぜ離婚に至らなかったのか?樹木希林の名言から考える

ここからは、

常人には理解しがたい関係ながら、

離婚に至ることなく、

生涯を終えた真相に、

樹木さんと裕也さんの発言から、

せまってゆきたいと思います。

あんまりがんばらないで、でもへこたれないで

今年(2018年)の7月にニューヨークで取材を受けた際に、

視聴者に向けてテレビ局からメッセージを求められて、

樹木さんは次のようにコメントされています。

あのー、おこがましいんですけど、

ものごとにはやっぱり表と裏があって、

どんなに不幸なものに出会っても、

どこかに灯りが見えるものだというふうに思っている。

もちろん幸せがずっと続くものでもないから

何か行き詰ったときに行き詰った場所だけ見ないで

ちょっとこう、後ろ側から見てみるという

そのゆとりさえあれば

そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに

今頃になって思っていますので

どうぞ物事を面白く受けとって、愉快に生きて

お互いっていうとおこがましいけど

そんなふうに思っています。

あんまりがんばらないで、でもへこたれないで。

謙虚であたたかいメッセージ。

なんとやさしく人を励ます言葉でしょうか。

この言葉の中にも、

私は樹木さんによる内田さんへの愛を感じられます。

ものごとにはやっぱり表と裏があって、

どんなに不幸なものに出会っても、

どこかに灯りが見えるものだというふうに思っている。

という部分は、

裕也さんとの同居時代にやりあったDVや、

裕也さんによる度重なる事件などのことを

思い出させずにはいられないでしょう。

ただ人間は、

その不幸の渦中にあるときは、

なかなか「灯り」は見えないものではないでしょうか。

だからこそ、

樹木さんは続けて、

「何か行き詰ったときに

行き詰った場所だけ見ないで

ちょっとこう、後ろ側から見てみる

といったふうにアドバイスされてます。

辛い中でも、

ちょっとひいた視点で自分を客観的に見つめてみる。

そのゆとりさえあれば

そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに

今頃になって思っていますので

樹木さんの壮絶な日々があったからこそ

生まれてくる本当に素晴らしい言葉ですね。

このメッセージひとつだけでも、

樹木さんが、

43年にも及んだ別居婚という結婚生活を、

後悔もしてなければ、

不幸にも思っていないように感じられます。

離婚なんて事を樹木さんは望んでいなかったように思えます。

本当に複雑でわかりにくく思えますが、

愛と表現するほかないものが感じられますね。

いろんな難を受けながら成熟していく

私は「なんで夫と別れないの」

とよく聞かれますが、

私にとってはありがたい存在です。

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、

難が有る、

と書きます。

人がなぜ生まれたかと言えば、

いろんな難を受けながら成熟していくため

なんじゃないでしょうか。

内田さんのことを「ありがたい」存在とする樹木さん。

単なる好き嫌いで夫婦関係を投げ出すようなことはせず、

たとえ「難」があっても、

それを「成熟」のチャンスととらえて楽しむ。

離婚という現象が珍しくなくなった昨今、

シンプルだからこそ、

考えさせられる名言だと思う。

なんせ私はバツイチですから身にしみます。

どうでもいいこと書きました。

話を戻します。

樹木さんが離婚という選択をしなかった背景には、

このような人生観があるわけですね。

でも、

なんでもかんでも「難」と捉えて受け入れるのは、

良くないかもしれません。

例えば、DVを「難」と捉えて我慢するのは危険でしょう。

樹木さんは、

DVから逃げて、

別居という選択をしたから良かったわけです。

ただし、離婚という選択はしなかった。

次にご紹介する名言が、

なぜ離婚という選択をしなかったかに対する、

樹木さんのストレートな回答となっていると思います。

夫1人だけ、奈落の底に突き落として…

夫1人だけ、

奈落の底に落として、

自分だけ保身ということはしません。

この言葉は、

裕也さんが、

2011年に当時50歳の元交際相手の女性に復縁を迫り、

強要未遂及び住居侵入の容疑で逮捕された際、

都内の自宅で報道陣に対応したときの発言のようです。

この名言の前にこうも言っているようです。

「本当の謝罪は本人から頭を下げてもらいたい。

籍を入れた責任上、

どうするかを考えながらいきたい。

夫1人だけ、

奈落の底に落として、

自分だけ保身ということはしません」

なかなかできることでしょう。

自分の旦那がストーカー容疑で逮捕されたら、

女優という自分の立場もあるわけですから、

自分の身を守るために取り繕うような発言のひとつでも

したくなるのではないでしょうか。

その真逆の発言をする。

報道陣から、

「あなた(樹木さん)こそ、ロックンローラーだ!」

と言われたようです。

その通りですね。

内田裕也という人間のどうしようも無さを受け入れ、

「籍を入れた責任」を果たそうとする。

離婚という選択肢は、

樹木さんの中では全く無かったのかもしれない。

生まれ変わることがあるなら、また巡り会うことがないように

全部、好きです。

すべて何もかも好きです。

もし、

来世というものがあって、

生まれ変わることがあるのなら、

また巡り合うことがないように。

出会わないように、

気をつけたいわね。

もし次逢ったら、

また好きになってしまって

また大変な人生を送ってしまうから。

この名言は、

樹木さんが、

裕也さんと離婚しなかった理由の決定打ですね。

あんなメチャクチャな裕也さんの、

すべてなにもかもが好きなんですね。

ほんとうに樹木さんもロックンローラー。

離婚は、

内田裕也が何かやらかした際に面倒をみるという消極的な理由ではなく、

純粋に内田さんのことを好きだからしなかったのかもしれない。

樹木希林と内田裕也は仲良し

別居43年。

とんでもない数字ですが、

今まで見てきましたように、

絶望的で顔も見たくなければ、

口も聞きたくないといった関係ではなかったわけです。

むしろ、

お互いを思いやり愛し合っていたのではないか。

夫婦の愛のかたちはさまざまで、

ほどよい距離感でお互いを尊重しながら、

暮らしていたのかもしれない。

そう。

実は、

樹木希林さんと内田裕也さんは仲良しだったのではないでしょうか。

そのようなことを裏付けるような、

証言やエピソードは、

さきほどご紹介した樹木さん自身の発言を別にすれば、

そんなにたくさんあるわけではありませんが、

いくつか記しておきたいと思います。

樹木希林と内田裕也と箭内道彦

先ほど、

「ゼクシィ」のCMについて書きましたが、

その際にクリエイティブディレクターをつとめた

箭内道彦(やないみちひこ)さんはこのように話されていたそうです。

 「希林さんは裕也さんを好きなんだなあということを、

僕は折に触れいつも感じていました。

決して奇をてらったキャスティングではありません。

結婚ってなんだろう?

そのことをお二人を通して

問いかけてみたいと考えました」

CMを制作された箭内さんが、

折に触れて、

裕也さんのことを希林さんが好きなんだなあ、

と感じたのは、

やはり制作の現場で、

じかに接した人でなければ、

感じられないことですよね。

箭内さんほどのクリエイティブな能力がある、

つまり人間に対しての強い関心と観察する能力がある人が、

言うことですから、

信頼しても良さそうな気がしますね。

演技や建前ではなく、

樹木さんは、

ほんとうに裕也さんのことが好きだった、と。

樹木希林と内田裕也と黒柳徹子

若き日の黒柳徹子さん。

かわいいですね。

さきほど、

2016年に黒柳徹子さんがMCのテレビ朝日系特番で、

樹木さんと裕也さんが奇跡的に共演されたことを書きましたが、

黒柳さんは、

『徹子の部屋』という

超長寿番組をお持ちで、

もちろん、

樹木さんも裕也さんもそれぞれご出演されているわけです。

超人的とも言うべき感性をもった黒柳徹子さんかは、

樹木さんと裕也さんの関係はこう見えたようです。

黒柳さんは、

樹木さんの夫である内田裕也氏と一緒にゲスト出演した

『徹子の部屋』(テレビ朝日系)での

思い出を語り、

樹木さんが内田氏のことが本当に大好きで、

内田氏も樹木さんのことが本当に好きなんだとわかった

と語っていました」

黒柳さんも、

さきほどの箭内さんと同様のお考えのようですね。

樹木さんと裕也さんの関係は、

一般人として遠くから見ているとよくわからない点もありますが、

実際に接した方々からは、

お互いに大好きだったのではないか、

という発言が残されています。

樹木さんと裕也さんは、

実は仲良しだったのかもしれませんね。

樹木希林と内田裕也の仲良しエピソード

そのほかに、

このようなエピソードもあります。

2005年、

彼女の乳がん発覚を機に連絡が密になり、

年に一度はハワイでともに過ごすように。

樹木さんは、

ガンになってよかった、

という発言もされています。

周りの人間が自分に関心を持ってくれるようになるから、と。

裕也さんとしても

最愛の樹木さんがガンということになれば、

心配だったでしょうね。

2015年ごろからは連絡を取り合っており、

仲は良かったそう。

食事や旅行にも行かれたようです。

実際に京都に旅行などをされていたようです。

 内田(裕也)さんと樹木希林さんは

奥様がガンと分かった時

2人で京都に旅行に行って

「私は網膜剥離だから手を繋いでね」

と言ったというエピソード

なんともほほえましい、

仲良しエピソードですね。

素敵です。

内田裕也が樹木希林にあてた手紙

樹木さんがどれほど

裕也さんのことを思っていたかを知ることができる

手紙の存在が素晴らしいので紹介しておきたいです。

今年(2018年)9月30日に東京都港区の光林寺で

樹木さんの告別式が行われた。

そこで喪主代理を務めた娘の也哉子さんが挨拶され、

その中で、

裕也さんから樹木さんへ当てた手紙の内容があきらかになった。

なお、喪主を務めた裕也さんは、

告別式において、

いっさい言葉を発していない。

その手紙というのは、 

裕也さんが

ロンドンに滞在している際に樹木さんに当てたエアメール。

まだ2人が同居しているときのことです。

今度は千帆と一緒に来たいです。

結婚1周年は帰ってから二人きりで。

蔵王とロサンゼルスというのも、

世界中にあまりない記念日です。

この1年、

いろいろ迷惑をかけて反省しています。

裕也に経済力があれば、

もっとトラブルも少なくなるでしょう。

俺の夢とギャンブルで

高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。

突き詰めて考えると、

自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。

ロックをビジネスとして

考えなければならないときが来たのでしょうか。

最近、

ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。

早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。

落ち着きと、

ずるさの共存にならないようにも。

メシ、

この野郎、

てめぇ、

でも、

本当に心から愛しています。

1974年10月19日 ロンドンにて 裕也

いかがでしょうか。

樹木さんは、

この手紙を書棚に大切にしまわれていたそうです。

遺品整理の際に見つかったとのこと。

私はこれを読んだときに、

若き日の裕也さんの苦悩を感じました。

裕也さんはロックが純粋に好きなんですね。

でも、

好きなだけでは食べていけない。

だからロックをビジネスの種にしなければならない。

でも、

大好きなロックを安易に金に変えるような汚れたことはしたくない。

そんなのロックへの冒涜(ぼうとく)じゃないか?

おれはもっと純粋にロックを愛したいし、

この素晴らしいロックの世界を、

みんなにも知って欲しい。

そんな「純な」思いがあったのかもしれません。

『なぜこのような(夫婦)関係を続けるのか』

と母(希林さん)を問い詰めると、

平然と

『だってお父さん(裕也さん)にはひとかけら、純なものがあるから』

と私を黙らせるのです。

と同じ告別式の際に也哉子さんが言われているように、

樹木さんは、

裕也さんの「純なもの」を見いだしていて、

そこに惚れ込み愛していたのではないでしょうか。

たしかに裕也さんには、

一筋縄ではいかない問題もあった。

けれども、

裕也さんには「ひとかけら、純なもの」があった。

それは事実でしょうし、

そのことを樹木さんは生涯信じ、

裕也さんとの日々を大切に過ごしてきたのではないでしょうか。

樹木さんに向けて、

「本当に心から愛しています」と手紙に記すその前に、

「メシ、この野郎、てめぇ」と書かないと恥ずかしくて言えないのです。

裕也さんは、

まっすぐで正直な人なのではないでしょうか。

少なくとも、

心にもないような美辞麗句をならべたてて善人づらする

詐欺師ではなく、

内田裕也は、

荒ぶるジェントルマン、

ではないでしょうか。

この手紙の書き方から

裕也さんの「純」でナイーブな一面が見える気がしませんか。

さて、

まだ同居していたときのこの手紙を大切にしていることからも

うかがえますように、

離婚という選択肢は、

樹木さんの中には、

生涯を通してなかったのではないでしょうか。

樹木希林の最期と内田裕也の動揺

あまりに破天荒で

一見どうしようもなく思えるような

樹木さんと裕也さんが、

結局のところお互いのことが大好きだったのではないか、

ということを見てきました。

ここからは、

樹木さんの最晩年に焦点を当てて、

裕也さんとの関係を書いてゆきたいと思います。

内田裕也、樹木希林への最後の電話

樹木さんが亡くなる前日、

2018年9月14日の深夜のことです。

樹木さんの容態が急変したのです。

親族の方が裕也さんに電話をして、

スピーカーをオンにして、

裕也さんの声が樹木さんに聞こえるようにしたといいます。

裕也さんは樹木さんに向かって、

「しっかりしろ!」と叫んだといわれています。

裕也が「しっかりしろ!!」と叫ぶ度に、

樹木さんに反応があったという。

薄れゆく意識の中で

最愛の人の声を聞いて安心したのではないか、

という気がします。

その電話を終えてからほどなくして、

樹木さんは家族に看取られながら、

息を引き取られたようです。

生前から、

自宅であの世にいきたいといっていた樹木さん。

退院して自宅に戻ったその日、

眠るように息を引き取られました。

樹木希林と内田裕也の最後の共演

この画像は、

「京都国際映画祭」(よしもと祇園花月)

で特別上映された

「転がる魂・内田裕也 ザ・ノンフィクション」

の舞台挨拶の際の裕也さんです。

今年(2018年)の10月14日のことです。

樹木さんが亡くなられてから、

あまりのショックでコメントもできないほど、

元気を失っていたという裕也さんが、

こういった形で、

外に出て私たちに姿を見せてくれたのは嬉しいことですね。

映画は、

昨年暮れに45回目を迎えた

「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」に

取り組む内田の1年間に密着。

さらに波乱に満ちたロック人生を振り返ったもの。

内田の日常に、

40年来の親交がある崔洋一(サイヨウイチ)監督(69)が迫り、

内田と希林さんの最後の“共演”が実現した。

「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」は、

裕也さんのライフワークともいうべき仕事の一つです。

いわゆるロックの「夏フェス」のはしりのようなもので、

裕也さんが最も力を入れている仕事

と言ってもいいのではないでしょうか。

その崔洋一さんによるドキュメントのなかで、

裕也さんと樹木さんは、

最後の共演をされたわけです。

樹木さんはナレーションとして登場したのです。

樹木さんはこのお仕事をされた際に、

監督の崔洋一さんに、

私の最後のナレーションになるということを

伝えていたそうです。

裕也さんは舞台挨拶の中で、

「先日他界しました樹木希林さんが

解説(ナレーション)をしてました。

ちょっと動揺を隠せませんでしたけど、

一緒にスクリーンを見てくれてうれしかった」

と言われたそうです。

樹木さんの最後のナレーションの仕事が、

自身のドキュメンタリー。

裕也さんは、

最後に共演できたことをうれしく思っていることは、

間違いないでしょうね。

共演できてほんとうによかったですね。

樹木さんが亡くなられた直後は、

かなり動揺されて元気を失っているように思われた内田さんでしたが、

この日の舞台挨拶の中では、

「今日、ちょっと声が出にくい状態ですが、

一杯飲めば治ると思う」と裕也節も飛び出した。

などという発言もあったり、

元気になってきたようで、

関係者からは、

車イスなしでも歩けるのでは?

というコメントもあったようで、

ファンから求められるサインにも気さくに応じていたようです。

いずれにせよ、

一安心ですね。

樹木希林と内田裕也の関係のまとめ

思わず長くなり、

まとまりのないものになってしまい、

すいません。

これでもかなり端折って(はしょって)いますので、

またの機会にこの希(まれ)なるお二人について

何か書けたらと思います。

さて、

見てきましたように、

樹木さんと裕也さんの関係は、

外側からはハチャメチャに見えますが、

内側、

つまりお二人の間では、

きちんと信頼関係ができていたし、

別居婚という形であっても、

お互いのことが大好きであったことは間違いないと思います。

裕也さんは一度、

一方的に離婚届をだすという暴挙を行いましたが、

自分は生涯に一度しか結婚する気はない、

という発言をしていることからもうかがえるように、

やはり樹木さんのことを大切に思われていたことは間違いないです。

そして、

樹木さんには、

終始一貫して離婚をするという選択肢はなかった

と言い切って良いかと思います。

裕也さんのことが大好きだったのです

2018年の8月、

樹木さんは左大腿骨を骨折して入院。

亡くなるひと月ほど前です。

樹木さんはその入院中に、

裕也さんに会いたい

と毎晩言っていたそうです。

他人にはわからなくても、

他人にどう思われても、

そんなことはどうでも良かったのでしょう。

まさに、

ロックンロール!

こんな長い文章を

最後までお読みいただき、

ほんとうにありがとうございました。

最後に、

樹木希林さんの

ご冥福をお祈り申し上げます。

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